2018-07-23 『戦争犯罪国はアメリカだった!』 「英国人ジャーナリスト・ヘンリー・S・ストークス 著」

西日本での豪雨のため、被災された多くの方々にお見舞いを申し上げると共に、1日でも早く元の生活に戻る事が出来ますよう心からお祈り致しております。

また、お亡くなりになられた多くの方々の御冥福をお祈りし御遺族に対し深く哀悼の意を表します。

創生塾

2016年に翻訳され、ハート出版社にて発刊された1冊です。今回、この書籍の紹介を快諾して頂きました、ハート出版社様に感謝申し上げます。また著者である、ヘンリー・S・ストークス氏様に対しまして、日本人としての誇りを再確認させて頂いた事への感謝の意を表します。

東京裁判では、28名が有罪、A級戦犯とされ、25名が有罪(2人病死、1人免訴)東条英機元首相等、7人が絞首刑、16人が終身刑、2人が有期刑とされました。ヘンリー・S・ストークス氏は、この自著の中で真のA級戦犯が上記の7名ではなく、ルーズベルト、チャーチル、スターリンであると断言しています。下記に、ストークス氏が記した一部を転載させて頂きました。

『戦争犯罪国はアメリカだった!!』

この1冊は、我々日本人が忘れかけてしまっていた日本人としての「日本魂の誇り」を呼び戻してくれます。まだ、お読みになっていない方には是非読んで頂きたい名著です。

私は市ヶ谷防衛省内にあるかつて東京裁判が行われた講堂を、何度も訪れたことがある。戦勝国が一方的に敗戦国を裁くことは許されない。戦勝国が敗戦国を裁いて、戦争犯罪人として一方の将兵のみを処刑するのは復讐だ。

昭和二十年八月十五日は、停戦の日だ。それから九月二日に降伏文書の調印式が、戦艦ミズーリ号の艦上で行われ、日本の占領が始まった。

占領期間は、戦争中である。日本は、主権を持っていなかった。

その中で、戦時捕虜にあたる東條英機をはじめとするいわゆる「A級戦犯」を、不当な裁判にかけ、絞首刑で殺した。これはリンチであり、捕虜殺害というれっきとした戦時国際法違反である。処刑それ自体が戦争犯罪だった。

東京裁判を覆った空気について、多くの関係者から聞いたことがある。法廷の空気はとても邪悪で、毒気が漂っていた。残忍さが渦巻き、検察側には、悪意が感じられた。このため法廷には、恐ろしい気配が充満していた。東京裁判は、数年に及んだ。その全てが不法だった。

私が五○年余を過ごした日本外国特派員協会の斜め向かいに、第一生命ビルがある。マッカーサーは皇居を見下ろすこの建物に、総司令部を構えた。マッカーサーは全てを、まるでドラマの場面のように演じた。自尊心の自家中毒によって、病んでいた人間だった。この総司令部もマッカーサーの演出に一役買っていた。ドイツのニュルンベルグ裁判はイギリスが主導した。そのために、アメリカには出番がなかった。マッカーサーは、日本人への復讐や、アジアへの見せしめに加えて、世界へアメリカの正義を発信しようと東京裁判という芝居を上演したのだ。

日本外国特派員協会は、マッカーサーの日本占領と同時に設立された。理由は、アメリカによる日本占領が、いかに正しく、人道的であり、歴史の偉業であるか、全世界へ報道させるためだった。日本外国特派員協会の会旗にも、「一九四五年設立」と占領の年が、誇らしげに刻まれている。

いわば日本占領の、もっといえば、東京裁判史観を世界中に撒き散らした総本山が、日本外国特派員協会と言ってもいい。マッカーサーは、メディアの力をいっぱいに活用して、自らのエゴを美しく飾り立てた。

連合国占領軍総司令部という公的な組織のような名称を冠しているが、GHQはマッカーサー一人のものだった。マッカーサーの意志が全てだった。だからそこには、マッカーサーのエゴが、見てくれの演出を好む、映画プロデューサーのような、ナルシストの性格が露わに映し出されていた。

もう十年近く、私は黒船来航で知られるマシュー・ペリーについて研究してきた。その過程でGHQのマッカーサーについても比較対象のために調査を重ねた。その研究の一部は、外交評論家の加瀬英明氏との共著『なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書)で紹介しているので、そちらも合わせて読んでいただきたいが、ペリーもマッカーサーも、自己中心的で、自己顕示欲が過剰な、自分のパフォーマンスを何よりも最優先して考える人間だった。

日本の占領政策も、東京裁判も、マッカーサーの内面が、具体的な日本占領になって露出した姿そのものだ。その傲慢さと不実は、唾棄すべきものがある。

マッカーサーは、日本の「将軍」を気取っていた。しかも実際の将軍と異なり、その権限はまさに「全能」で、神のようであった。神の御技の地上代行者と過信して、天皇も含めて、全ての被造物をまるで創造主であるかのように、国際法も一切遵守することもなく占領政策を策定し、推進した。

自ら全世界に向けて、アメリカの正義がどのようなものかを、発信しようとした。未開の人々に、文明とはどのようなものか、正義とはどのようなものか、全てのことはどのように解釈され、判断されるべきなのか、その基準をパフォーマンスとして、演出した。

おぞましい矛盾だ。正義を貫くというパフォーマンスに、正義の欠片もなかった。結果的に、まったく正義と公正を欠いたものとなった。文明も、正義も、公正も全て、アメリカが美徳と誇り掲げるものが、日本の占領には存在しなかった。

東京裁判は、アメリカが代表する文明や、正義、公正という美徳を信じた日本人の多くを失望させ、アメリカへの不信を深めさせた。

占領中にアメリカがしたことは悪だった。おぞましい復讐であり、リンチであった。完璧な欺瞞、ナンセンスだけがそこに残された。

マッカーサーは、白人の優越を示そうと意図した。古くはプラトンやソクラテスの活躍したギリシャ文明にまで遡る西洋の文化や文明、伝統と理想の優越を、小さな黄色い種族による未開で、野蛮な社会に見せつけようと試みた。文明の正義とはどのようなものか、思い知らせてやろうと思った。白人の西洋世界における規範とはどのようなものかを、法の支配とはどのようなものかを、未開な民族に教え込もうとした。

日本国民全員が、東京裁判の被告だった。その文明の崇高なる叡智を、ただただ素直に、無批判に受け入れれば良かったのだ。これが、マッカーサーの傲慢で、高飛車な姿勢だった。

今日、日本の大新聞、文部科学省、文化人をはじめ多くの日本国民が、東京裁判史観を信じている。今日の日本は、いまだにマッカーサーの呪縛の渦中にある。

裁かれるべきは、戦勝国側だった。そして公正という、アメリカが高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇を続けた。フェア・プレーの精神を地に貶めて、欺瞞を貫いた。それが東京裁判だった。

西洋文明が為したことは、結果的に非文明の所作であり、正義の基準は、全く実践されなかった。悲しいことであり、また邪悪なことでもあった。

ウェッブ裁判長は、オーストラリアへ戻って退居した後に、「あの裁判は、誤っていた」と、語っている。

今年は、市ヶ谷で極東国際軍事法廷が行われてから七十年の節目の年にあたる。

私は、日本国民が、東京裁判の虚妄に目覚め、史実と正義の声を上げてくれることに、期待している。日本人が、そう思わないことには、日本の名誉が回復されることはない。

二〇一六年三月

ヘンリー・スコット=ストークス

この本をまとめさせたのは、三島由紀夫だった。いや、三島がこの本を、私に書かせた。

あの夜、三島は私に詰問した。伊豆の下田で三島と晩餐を楽しんだ後のことだった。

三島は、なぜ、黒船を忌み嫌ったのか。あの日から、その問いは私の心の中で、響いていた。

三島が市ヶ谷で自決した。そのことを本に書こうとした時に、私は不思議な体験をした。まるで、私と別な何者かが、私に代わって本を書いているかのような体験だった。

十年近く前から、私は「黒船」をテーマに本を書こうと試みてきた。しかし、外国特派員協会の一室で原稿を書いていると、そこに三島が現れ、いろいろと訴えてくる。そのためというわけではないが、まだ「黒船」は、完成していない。

しかし本書は、その一○年がかりの「黒船」の探求の、ひとつの全体像を期せずして描く作業となった。

三島は、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決した。憲法改正を訴え、自衛隊をアメリカの「傭兵」でなく名誉ある天皇の軍隊とすることを、命と引き換えに訴えた。そこは、東京裁判が行われた場所でもあった。それは、偶然だったのか。

三島は、稀代の小説家だった。自分の自決すら一編の小説のように、手の込んだシナリオを描いた。三島はあえて市ヶ谷を、東京裁判の法廷の場所を、「散華」の地に選んだのだった。占領の呪縛を解かんと「自爆攻撃」した。三島が守ろうとしたのは、日本の「国体」だった。「三種の神器」だった。「建軍の本義」だった。君民一体・天皇国の日本だった。

ここ数年、私は多くの著書を出版した。一○万部を超えるベストセラーとなった『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』など一連の著作の背後に、私は三島からの霊言があったと思う。

いまも、三島由紀夫は生きている。まるで小説のような「市ヶ谷事件」を起こして自決したが、その魂はいまも息づいて、二十一世紀の日本に留まっている。その思いを受け止めて、私は本書をまとめた。これは、下田の夜の三島の「黒船」に対する思いを、半世紀近くの時を経て、私なりに感じ取った集大成と言ってもいい。

日本は、大東亜戦争の開戦まで、ずっと平和を望んできた。その日本に脅威を与えたのが、白人キリスト教徒の侵略だった。『マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)』を掲げ、有色人種を大虐殺してきた。その脅威を現実に目にした時に、日本は鎖国政策をとった。国防のためだった。日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変も全て、日本の権益や居留民、また日本そのものを守るためだった。大東亜戦争も同様だった。仕掛けたのはアメリカ。日本は追い詰められて、自衛のために戦争をするしか方途がなかった。「座して死を待つ」ことはできなかったのだ。

日本が大東亜戦争でアジア諸国に侵攻すると、アジアの民は歓喜して喜んだ。数百年にわたって欧米列強の軍隊に虐殺され、植民地支配されてきた。その白魔を駆逐したのが皇軍だった。アジア諸民族は、皇軍に協力して、民族自決、独立のために戦った。

日本軍が残虐行為を行ったとか、大虐殺をしたとか、婦女子を凌辱したなど、でたらめである。皇軍は、天皇の名誉を犯すことがないように、国際法を遵守して戦った。国際法をまったく無視して大虐殺を実行したのは、アメリカだ。戦争犯罪を問題にするなら、犯罪国家はアメリカであって日本ではない。

アメリカでの戦闘に於ける国際法違反をさらにドラマチックな芝居にしたのが、東京裁判だった。東京裁判が不当なものだったことは、東京裁判の判事も、当時のアメリカの政治、軍事の指導者から世界の知識人までが認めている。東京裁判そのものが、国際法違反の復讐でしかなかった。

しかし、占領軍がWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって、日本が戦争犯罪国家であると、日本人を洗脳した。さらに、メディアに一切の批判をさせないように、戦前よりはるかに厳しい言論統制を行った。こうした占領政策によって、日本のメディアも国民も、まるで日本が戦争犯罪をしたかのように、思い込まされている。

真実は真逆だ。世界を侵略してきたのは欧米列強で、世界中で大虐殺を実行してきた。いわば、「最後の砦」として残されていたのが日本だった。日本が自衛戦を行ったのは、国際法に照らしてもまったく正当な行為である。

戦後七十年を過ぎた。今年は、東京裁判開廷から七十年目の節目の年を迎える。

日本の最大の問題は、日本人がアメリカによる洗脳を自覚することができないことだ。「日本は戦争犯罪をした」とか、「侵略戦争を起こした犯罪国家だ」などというまったくの虚偽を、真実であると思い込んでいることだ。

日本人は、この無明から覚醒せねばならない。日本人は立派な民族である。日本は、戦争犯罪国家などではない。その誇りを取り戻し、いわれなき日本人の父祖に対する名誉毀損を打破することだ。

三島由紀夫は、そのことを魂から訴えようとして、東京裁判が行われたその場所で、自決をしたのだ。いま私は、そのことを三島からの霊言によって、まざまざと知ることになった。

本書は、そのことを日本国民に訴えるために、まとめたものである。日本が主権を回復したとされる四月二十八日と、昭和の日にあたり東京裁判の起訴状が手交された日でもある四月二十九日を前に、本書が出版される意義を読者と共にかみしめたい。

ヘンリー・スコット=ストークス

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