御譲位は、真の日本、真の日本人を取り戻す恩寵 「西村眞悟先生(元衆議院議員)が記したこと」

平成31年2月21日(木)

第百二十五代の今上陛下は、平成三十一年四月三十日、

譲位され、翌五月一日、皇太子殿下が践祚されて万世一系の皇位を践まれ第百二十六代天皇となられる。

この流れには、一瞬の隙もなく、今上陛下の譲位は、即ち新帝の践祚即ち即位である。

これが、皇統連綿、万世一系の皇位継承だ。

これを律しているものは、天照大神の「天壌無窮の神勅」と、この神勅を実践して万世一系現在に至る長い歴史のなかで生まれてきた「皇室の慣習」のみである。

現在の我らは、

「法というもの」は、実定法つまり国会などで議決したことを「紙に書いた文書」だけであると思いがちだが、

これは法というものが存在する形態の内のごく一部の「形式的な法」に過ぎず、幽遠の歴史と伝統のなかに

慣例として存在する紙に書かれていない法が「実質的な法」なのだ。そして、我が国こそ、遙か彼方から続く歴史と伝統のなかにある「実質的な法」によって律せられた国であり、その中枢にあるものが、我が国を日本たらしめている「万世一系の天皇」である。

この我が国の姿を、フランスの社会人類学者クロード・レビィ=ストロースが、次のように表現している。

「われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。

日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、そこでは誰もが歴史と神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にある。」

また、先の伊勢神宮の式年遷宮を見たフランス人オリビィエ・ジェルマントマは、フィガロ紙に「伊勢の聖夜」と題する次のような一文を記している。

「闇と沈黙のなか、女神アマテラスを聖櫃に奉じ、これに生絹を掛けて神官の群れが粛々と運んでいく。

生きとし生けるものの起源そのもののシンボルが、いま、眼前を通り過ぎてゆく。・・・東日本大震災の、抑えがたき自然の猛威にさらされて、どこから己を取り戻すか、日本人が自覚していることの何よりの証拠である。

それは森羅万象の諸力を崇敬するという伝統の維持であり、そこに日本的ジェニー(天才)はあるのだ。」

この、彼ら西洋人が指摘している我が国おける「神話と歴史の間の密接な絆」そして「生きとし生けるもののシンボル」とは何か。

それは、天照大神であり、天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいて誕生した我が国の天皇が、万世一系、皇統連綿、現在に至っているということである。

その「神勅」は次の通り。

豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、是吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。

宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治らせ。

行矣(さきくませ)、宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と倶(とも)に窮(きわま)り無かるべし。

これが吉田松陰が斬首される十六日前に、友である堀克之助への手紙に、「神勅相違なければ日本未だ滅びず。

日本未だ滅びざれば、正気重ねて発生の時は必ずある也。

只今の時勢に頓着するは神勅を疑わふの罪軽からざる也」と書き送った。

神洲不滅の確信の根拠としての「天壌無窮の神勅」だ。

また、三島由紀夫は「日本に命にかえても守らねばならないものが二つある。

それは、天壌無窮の神勅と三種の神器である。」

と言った。

これらの吉田松陰や三島由紀夫の言葉は、日本を日本たらしめている中枢のもの、即ち我が国の「国体の淵源」を指摘したものだ。

そこで、まず、我が「国体の淵源」としての神話から発する歴史のなかで生まれた慣例に基づいて行われた昭和天皇の「御践祚」の実際を、「昭和天皇実録」と東宮侍従としてそれを見届けた木下道雄氏の「宮中見聞録」から記しておきたい。

大正十五年十二月、

病が重くなられた大正天皇は、神奈川県葉山御用邸で御静養されていたが、同月中旬になって御容態が憂慮される状態となられ、東宮(皇太子)殿下は急いで葉山に行かれて仮泊された。

以下、時系列に従って記する。

なお、当時の皇室典範は、現在のように国会で定める「法律」ではなく、「皇室の家訓」であり、その十条に

「天皇崩ズルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」

と定められている。

十二月二十五日午前一時二十五分、

大正天皇崩御、御年四十八歳、御在位十五年。

皇太子裕仁親王、皇室典範第十条により直ちに皇位を践ませられる。

同日午前二時四十分、内大臣、総理大臣、連署の告示をもって崩御を公表。

同日午前三時十五分、

葉山御用邸謁見所内にて、新帝が三種の神器を承ける為の「剣璽渡御の儀」が行われる。

この儀は、元帥大勲位伯爵東郷平八郎、大勲位公爵西園寺公望、内閣総理大臣、枢密院議長ら顕官の立ち会いの下、牧野内大臣が、先帝の二人の侍従に神剣と神璽を捧持させて、新帝の前にある卓の上にこれを安置して、

新帝に、三種の神器を、謹んでお承け願う儀式である。

そして、これと同時刻に、東京の皇居の賢所では、掌典長九条直実が賢所の神前即ち天照大神に、御代の移り替わりをご報告した。

なお三種の神器は

天孫降臨の時に天照大神から皇孫に授けられた神鏡と神璽(勾玉)、そして須佐之男命が退治した八岐大蛇の尾から出てきた神剣であるが、神剣と神璽は陛下の一泊以上のご旅行の時は、必ず侍従が捧持して行在所に安置するのが当時の風習で、葉山でも陛下の御寝所近くに安置されていた。

神鏡は皇居の賢所に奉安されていた。

同日午前三時三十分、元号建定の為の緊急閣議。

閣議決定の後、枢密院にて、元号案可決。

同日午前九時四十五分、新帝、元号御裁可。

同日十時二十分、新帝、次の詔書に御署名。詔書は直ちに官報号外にて公布。

朕皇祖皇宗の威霊に頼り大統を承け万機を総ふ茲に定制に遵ひ元号を建て大正十五年十二月二十五日以後を改めて昭和元年と為す。

御名御璽

大正十五年十二月二十五日

これが現在の「日本国憲法」以前の皇室の歴史と慣例に基づいて行われた践祚、皇位継承の姿である。

つまり、大正天皇の崩御と昭和天皇の践祚、剣璽渡御の儀(三種の神器の承継)と天照大神への報告という神事であり、新しい御代の始まりを告げる新元号の公布と不可分である。

もちろん、これは、我が国の、「神話と歴史の密接な絆」を基にして記された大日本帝国憲法第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」同第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」を体現するものだ。

その上で、

平成三十一年の今上陛下の御譲位と新帝の践祚の姿は、

この大正十五年の践祚から如何に変容されるのかを見つめねばならない。

そうすれば、その変容をもたらした「日本国憲法」とは何か?

という戦後の根本問題、即ち戦後の根本的疑念に帰着することになる。

ここに「日本を取り戻す」つまり「日本の再興」という

我が国家の存亡をかけた課題があるのだ。

斯くして、我らは、今上陛下の御譲位を、「国家の再興」に結びつけねばならないのである。

それは、即ち、まず第一に「日本国憲法」第一条の

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」というこの規定、これは、そもそも真実なのか、ウソなのかと問うことだ。

この第一条には、ウソが書かれている。

これが、答えであろう。

天皇の地位は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいているのである。

これが日本と日本人の真実だ。

日本人とは、この真実を公言する者である。

そもそも、我が国が大東亜戦争の降伏文書に調印した昭和二十年九月二日から日本国憲法が起案され施行される同二十二年五月三日までの一年八か月の間に、天皇を誰にするかどうかの「国民投票」でもしたのか?!

重ねて言う。「日本国憲法」第一条はウソだ。

第一、GHQ(占領軍総司令部、以下同じ)のトップであるD・マッカーサー元帥自身が、昭和二十年九月二日、戦艦ミズーリ号に「大日本帝国天皇陛下及び日本政府の命によりかつその名において」来訪した外務大臣重光葵を受け入れて降伏文書調印式に臨み、さらに、同月二十七日に、天皇陛下の訪問を受けて謁を賜り、退出される陛下を見送るとき、彼は天皇陛下を「ユアー・マジェスティー」と呼んでいたではないか。

要するに、

昭和二十二年五月三日に「日本国憲法」が施行されたから、天皇が国民の総意で誕生したのではないのだ。

繰り返すが

我が国の天皇は、天照大神の「天壌無窮の神勅」によって天皇となり、以後万世一系現在に至るのだ。

「日本国憲法」は、日本を占領統治していたGHQの統治方針に基づいて「ウソ」を書いたものであり、我が国の「神話と歴史の密接な絆」を前提にして書かれた大日本帝国憲法とは全く違うものであることを確認しなければならない。

全く違うとは、「日本国憲法」は、大日本帝国憲法と同じ日本の「憲法典」ではないということだ。

よって、ここにおいて、我らは、この度の今上陛下の御譲位に際して、如何なる課題に遭遇しているのか、その正体を見極めねばならない。

それは、この御譲位の課程に、壮大な「文明の衝突」ともいうべき「GHQの日本占領統治方針」と「日本の歴史と伝統」の相剋が浮き彫りになっているということである。

この、「GHQの日本占領統治方針」とは前記のクロード・レビィ=ストロースが「日本の最大の魅力の一つ」と言った「日本の歴史と伝統」を奪い、さらに、戦力を奪うことによる「日本国家の無能力化」だ。

従って、この度の御譲位において、七十五年前の大東亜戦争における火器を用いた戦闘が終わった遙か後の現在においても続いている、

思想を用いた攻勢によって我が国の「歴史と伝統」を消去しようとする勢力に対して我が国の独自性を如何に守り抜くのかという精神世界における重大課題が浮かび上がっている。

これ、まことに意義ある戦いが鮮明になっているというべきだ。

即ち、今上陛下の御譲位に、国家再興の切っ掛けが見えてきたと捉えるべきだ。

以下、この観点から論を進めたい。

まず第一に、この度の御譲位において浮き彫りになった敵味方の識別、つまり、戦後の我が国における「文明の衝突」の当事者の識別が必要だ。

即ち、「GHQの日本占領統治方針」を堅持する勢力は誰であるか?

鮮明になったその当事者は、もはやGHQではなくGHQの下僕であり続けようとする日本国政府そのものである。

このことは、安倍内閣にして、今上陛下御自ら鮮明にされた「譲位の御意思」に、不遜にも頑なに目を閉ざし、

「生前退位」としていることから明らかであろう。

「生前退位」なる言葉は、我が国の万世一系の皇位継承の歴史の中で、未だかつて使われたことはない。

それ故、皇后陛下は、平成二十八年十月二十日の御誕生日における宮内庁を通じて国民に伝えられたお言葉で、次のように言われたのだ。

八月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。

私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、これに関われるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました。

ただ、新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見たときの衝撃は大きなものでした。

それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きとともに痛みを覚えたのかもしれません。

私の感じ過ぎであったかもしれません。

このお言葉の中で

皇后陛下は二つの重大なことを指摘されておられる。

その一つは、「皇室の重大な決断」を「謹んでこれを承けたまわりました」とされていることだ。

これは、聖徳太子の十七条の憲法の三「承詔必謹」、即ち「詔を承れば必ず謹め」という教えの通り、陛下の御意思を承けたまわるべしということである。

その次は「生前退位」という言葉は皇室の長い伝統の中で使われたことがないということだ。

今上陛下は、平成三十年十二月二十三日の御誕生日においても、「来年春には私は譲位し、新しい時代が始まります。」と一貫して、譲位であると国民に述べられて、

皇后陛下もこのお言葉を謹んで承っておられる。

もちろん我々も謹んで承っている。

しかるに、日本国政府、安倍内閣は、陛下の御意思を、

謹んで承らず、平然と「譲位」ではなく「退位」として扱おうとしている。

その理由は、「日本国憲法」が譲位を想定していないからである。

「日本国憲法」は、

天皇は「国政に関する権能を有しない」と規定している(第四条)が、「内閣の助言と承認」によるとはいえ、

天皇は、内閣総理大臣と最高裁判所長官を任命し(六条)、国会を召集し、衆議院を解散し、法律を公布する、等々(七条)の、我が国政上「最高位」にある。

その上で、今上陛下は、この国政上最高位の地位を皇太子に譲る、と決められ、その旨国民に表明されたのだ。

そこで、安部内閣と政府機構の法匪達は、腰を抜かした。

何故なら、これは、天皇が「総理大臣を任命する地位」を譲るということであり、これは、即ち、「国政に関する最高の権能の行使」に他ならず、「日本国憲法違反」であるからだ。

従って、内閣の法匪達は、目をつぶれば世界はなくなると信じる者の如く装い、これは、天皇の御意思による「譲位」ではなく、御意思によらない「退位」とした、という訳だ。

即ち、彼らは、今上陛下の御譲位を、こともあろうに、

帝政崩壊によるフランスのルイ十六世やロシアのニコライ二世の退位と同じように扱っている。

従って、安部内閣は、践祚による新しい御代の始まりと新しい元号の制定は同時で不可分であるのに、それをバラバラにしようとしている。

つまり、彼らは、我が国の歴史と伝統よりも、「日本国憲法」を重視している。即ち未だにGHQにお仕えしているのだ。

政府の官僚機構の中に巣くう左翼ならともかく、安部内閣に、今上陛下に対して悪意があるとか、皇后陛下に衝撃を与えて悲しませたいとかの意図はないとは思う。

しかし、「日本国憲法」への、この無邪気で悪意なき羊のような服従と、GHQの意向(日本国憲法)に逆らうのではないかと恐れる臆病にこそ、我が国家と国民の危機を招き入れるものであることを知るべきである。

内閣のこの服従と臆病のなかで、多くの国民が北朝鮮に拉致され、竹島が韓国に実効支配され尖閣が中共に奪われかけているではないか。

このように、内閣の「日本国憲法」への服従は、国家と国民に惨害を与え、国家と国民への裏切りである。

内閣総理大臣安倍晋三には

「従来の京都で作られた律令などで律せられれば被害を被る、だから俺は、俺たちが古くから従っていた慣例に基づいて行動する」と表明して、関東御成敗式目を制定した北条泰時の心意気のコレッポチもないのか。

今上陛下の御譲位という歴史的な尊い出来事が迫る今が、まさに、北条泰時の心意気に見習うべきであるのに。

そもそも、我が国の天皇は、神話の世界に発して断絶なく現在に続く存在であり、「日本国憲法」や、法律としての「皇室典範」によって、戦後につくられたものではない。

従って、その「日本国憲法」が想定していない皇位の譲位が為されるならば、これは「日本国憲法」の想定外のことであるとして、無理をして「日本国憲法」に基づくのではなく、太古から続く歴史と伝統に基づいて古来の例に従ってこの度の御譲位は執り行われるべきである。

これこそ、自然なことではないか。

とはいえ、現実には、GHQの意向に従順かつ臆病に従うのが安部内閣なのであるから、この度の御譲位と践祚から、先に記した昭和天皇の践祚にある神事としての本質を隠蔽する姑息な工夫をして執り行うであろう。

しかしながら、如何にGHQに従う臆病者が狡智を以て工夫しても、今上陛下の御譲位と新帝の御践祚の本質が、

我が国の神話と歴史の連続性の中で執り行われる神事であることは紛れもない事実として国民の眼前に顕れる。

安部内閣が、御譲位を生前退位だ、白を黒だ、と言い繕っても、御譲位は御譲位、白は白だ。

しこうして、この度の御譲位で、我が国の最も大切な中枢は、神話と歴史であり、「日本国憲法」ではないことが明確になる。

よって、安部内閣の誤魔化しが、却って「日本国憲法」こと「GHQの日本占領統治方針」からの脱却、即ち

「日本を取り戻す」方向に扉を開く画期となるのだ。

ここに、この度の今上陛下の御譲位がもつ歴史的な意義がある。

振り返れば、第百八代御水尾天皇は、こともあろうに朝廷を幕府の統制下におく「禁中並に公家諸法度」を制定した大御所徳川家康と二代将軍秀忠の構築する徳川幕藩体制に対抗して、三十三歳で御自分の皇女である七歳の明正天皇に譲位された。そして以後、五十一年間、上皇として幕府に対抗され、天下に対し幕府を越える尊い権威としての朝廷の存在を示し続けられた。

そして、この御代に、二百五十年後の王政復古による明治維新を成就させる山崎闇斎や山鹿素行や徳川光圀らの尊皇の思想家が生まれた。

同様に、この度の第百二十五代今上陛下の御譲位も、

歴史の転換としての「戦後体制」即ち「日本国憲法体制」崩壊の地殻変動をもたらすこと確実である。

何故なら、明治維新が、厳しい国際情勢の中で、国家のサバイバル・生き残りをかけた変革であったように、現在も、我が国家の生き残りの為に戦後体制即ち「日本国憲法体制」からの脱却が必要であるからだ。

ここまで記してくれば、この度の御譲位に直面する我々の「臣民としての任務」が見えてくるではないか。

それは、我が国から、日本が日本であり、国家であることの本質を奪おうとするものの正体を摘発して、それを廃棄することである。

戦後に生まれ生きる我々は、この任務から目をそらしてきた。

しかし、今こそ、はっきり見なければならない。

つまり、「日本国憲法」は有効なのか無効なのか、それを見つめろということだ。

見つめれば、必ず見える。

「日本国憲法」

は明らかに無効だ。

昭和二十年九月二日に調印された降伏文書によって、我が国を軍事占領して天皇と日本国政府を統制下においた

連合軍最高司令官D・マッカーサーに対して、ワシントンの統合参謀本部は、「日本の占領と支配のための連合軍最高司令官に対する降伏後初期の基本指令」と題された命令(JCS1380/15)を発した。

その命令におけるアメリカ政府の、日本占領マスタープランは、「軍事占領中に日本社会を恒久平和に役立つように変革すべし」というものであった。

そして、その命令を実施するための具体的施策として、

D・マッカーサーは、GHQ民政局の若手二十五人に、昭和二十一年二月四日から十二日までの九日間で「日本国憲法」を書かせ、それを形式的に日本人の議会によって決定されたように装った。

従って、「日本国憲法」は、最初から、「日本の憲法」として書かれたのではなく「アメリカの日本統治基本方針」として書かれたのであり、冒頭にウソの第一条を記して天皇から神聖を奪い、第九条で我が国から軍事力を剥奪し、第三章の人権規定では、家庭や社会や国家からも歴史と伝統からも拘束を受けない「砂粒のような個人」を人権の保障された理想的な存在として、日本人の共同体をバラバラにしようとし、さらに古来からの日本人の風俗習慣と密接に関わる神道を敵視したのである。

この「GHQの日本国憲法」に縛られて「御譲位」を「生前退位」とする安部内閣は、我が国の最も神聖なことに関して、GHQとマッカーサーの後継者に堕落している。

この安部氏が、「戦後体制からの脱却」とか「日本を取り戻す」とかの志を掲げたことを思うとなお許せんのだ。

また、この安部氏をはじめとして、憲法改正を掲げる人士が多いので言っておく。

「日本国憲法」は、もともと憲法ではなくGHQの日本占領基本方針なのだから「改正」しても憲法の「改正」にはならん。

「毒の樹」の幹を温存して葉や枝を変えても「毒の樹」は「毒の樹」で、有害さは変わらない。

無効なものを改正するバカがどこにいる。

さて、

今上陛下の御譲位によって、新しい御代が始まる。

この新しい御代において「日本国憲法」の無効を確認して「大日本帝国憲法」を甦らせ、改正するなら「大日本帝国憲法」の改正規定で改正をするのが、法論理上の正道である。

同時に、我が国を取り巻く内外の厳しさを増す情勢に鑑み、早急に自衛隊を、国軍に再編するべきだ。

即ち、今上陛下の御譲位を切っ掛けに、我らは、本来の日本、本来の日本人を取り戻す時が来たのだ。

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